確かに私が存在した証

発達障害、精神疾患、虐待サバイバー持ちでディズニーと嵐が生きがいの日常

年に数回の過集中①

ってありません?

え、無い?じゃあASDの『好きなことには没頭』的なやつなのかな🤔

実は何年も前、20代半ばとかかな?大阪に居た時、淀川に割と近い場所に住んでました。その時に適当なスペースでiPodで音楽を聴きながらランニングする、疲れたら歩く、ということを深夜や早朝あたりでしてました。冬の時期に2年くらい続いたのかな?1シーズンで2.3回とかのレベルでしたけどww その内の1回は嵐が大阪Liveに来てたタイミングだったのを覚えてます。

これ、中3〜高校時代(中3はまだアルバイト前でiPodを持ってなかったのでMD使ってましたw)にも何度かやってた時期があります。家が中学の隣ほどの距離だったので走りやすい場所でした。あったんです、私にも突然走り出したくなる時期が。近年は一切その兆候が無いんですけど、今思えば双極性障害躁転時期だったのかなぁとも思ったり。

 

ちなみに私はかなりの運動音痴で、体育で評価2を貰ったり、跳び箱に激突したり、側転は出来ないし、縄跳びは大縄含めて出来ないし、球技はギリサッカーとバスケとバドミントン(テニスの方がラケットが重く好きなんですが…)ならなんとか、1度だけ行ったスキーも怖くてバランスも取りづらくて、歩いて下山w 無論逆上がりも出来るまでにかなり時間がかかりました。

そんな私ですが、駆け回ったりアスレチックで遊んだりすることは大好きでした。そして唯一好きな競技が『陸上』でした。長距離は嫌いなんですけどねw 持久力もなくて、上記のようなことは自分のペースで好きに、自由に、歩いたりも出来るからというそれだけ。短距離も100mがギリギリ。

 

けれど、50mでスタブロを使い、スパイクを使い、スターターピストルを耳にして駆け出す瞬間、風を切る気持ち良さが大好きでした。

元々50m走だけは他の子よりも速めの9秒代前半でした。最高記録は8.2秒とかだったかな?中学で速攻陸上部に入り、最初は外周をさせられて、その時の仲間と励まし合いながらやり切った時の達成感を今でも覚えています。

そんな私が選んだ種目は走り高跳び。一般的にははさみ飛びですが、陸上部なら背面飛び!最高記録は135mほど。一瞬空に舞い上がり、マットに体を預ける瞬間の心地良さ。

 

けれど、言い訳をします。入部の際、小学校から知り合いだった不良タイプの子も同じ部活で、その子らに目を付けられた私。一度お金(1,000円、勿論お小遣いは無いので親から盗んだもの)を巻き上げられた以外は、別段そこまで嫌いじゃなかったです。とは言ってもその子らと仲良く…仲良く?したことで、段々と部活に行かない日々が続いていきました。また、陸上部と同時に、唯一掛け持ちが許されていたボランティア部に入部したことで更に行く機会は激減。そんな中でも、私だけの為に部員総勢で高跳びの練習に丸一日付き合ってくれたり、一度走り幅跳びをしたら以外と跳べてしまったり。中学は近いのに起きられずに朝練すら行けない日々。そして中2の時、既に部活の中で浮いた存在となった私は、野外合宿でトーチトワリングを選択して放課後に練習。その代わりに朝練は行きましたが、「嫌われたな」と思いました。

それをキッカケに行く機会が更に減り、何故か陸上部の先輩や同級生が、クラスに乗り込んできたり、放課後の下駄箱側で待ち構える日々が続いたり。自意識過剰かもしれないけれど多分、私のことを待っててくれたんです。でも今更顔を出す資格なんてない。だから裏門から帰ったり、友人の部室に入ったりと逃げまくっていました。そして中2の秋頃、とうとう退部届を提出。尚、体育では選択科目が選べました。陸上or器械体操です。気持ちとしては陸上を選択したい。けれどそんな資格なんて無くて、器械体操を選択。(そして跳び箱に激突したわけです←)

今思えば、本当に部員に、仲間と呼べた人たちに、恵まれていました。大きな感謝と、謝罪を。

 

そんな中、中3に進級した際のクラス発表を見て背筋が凍りました。入部当初に共に外周を走り、同じ走高跳びを選択し、私はその子のことが部活内で1番好きで、恐らく1番私のことを気にかけていてくれてた子と同じクラスになったんです。

最初はひたすら気まずかった。でも同時に、小学校から同じの仲良い子が2人居たことで、その子とは当初、あまり関わらずに過ごしていました。

けれど、その子と同小の仲良い子が、私のひとつ前の席(名字順)で、その子がまた、ひたすら良い子だったんです。それまでクラスは違ったけれど、中1の時に同じ保健委員で名字も似てることから(私はその子に言われるまで気付いていませんでした←)めちゃくちゃ仲良くしてくれたんです。

 

そんなこんなで、段々と陸上部時代の子とも話すようになっていきました。選択科目で音楽を選んだ時、ステージに上がった私に対して「原子ファイトー!!」と2人揃って声を掛けてくれたり。そんな2人のことが大好きでした。いや、今も大好きです。言えなかったけれど、むしろ自信の無さもあり関係を自ら壊してしまったけれど。

しかし、キッカケが何かはサッパリ覚えていませんが、陸上部の子と同小で仲良かった子が、ある日を境に決別と言うのか、理由を覚えていないのですが、どうもタガが合わなかったようで、完全に仲違いをしてしまっていました。口も聞かず、互いに関わらない。修学旅行の班もその子たちと別の班になったり、私は登校拒否や午後登校してくる同小の子も好きで仲良くしていて、けれど2人とも仲が良い。平たく言えば、どっちつかずな中立の立場にいたんです。一時期それが原因で2人とも微妙な雰囲気になったこともありました。そんな時、その子たちと同小の子と仲良くなった子たちが私の悪口「原子さんって八方美人だよね」という話を耳にしました。私が気にしたのは、それを言ったのが2人であるかどうか。そして尋ねました。「それを言ったのって○○たち?」と。返答は「〇〇さん達なら円のことをさん付けで呼んだりしない」と。そりゃそうだ。そして犯人も絞れた。けれど私は2人を疑ってしまった。それが今も悔やまれます。

その後、仲違いをしていた2人は、何故か家庭科の授業の際に口喧嘩をし、席が離れていた私のことも何故か話題に上がったりして、どうやら解決した模様でした。

結果的に中学(高校も)時代の私の卒アルの空欄にはその2人を含めて埋まりまくりました。それを含めて2人のおかげです。

 

その後、自ら壊してしまったのは、高校に上がった後、新たに陸上部に入部した私は、どこの学校にも良くいる、『頭も良く(不良タイプはそうでもない)、運動もでき、見た目も可愛くて目立ち、自分が嫌う人間はとことん悪口を言う性格が最高に悪いが何故か影響力や人望(?)はある』子と一緒になってしまいました。私も悪いところはあった。中高ともにお金も無い私はひたすらに今より更に見た目が酷く、55kgというまあ太ってる部類に入るらしい体重で、多汗症が故に外周後にペアになってするストレッチでその子と組んだ時、汗は拭いても拭いても流れ出るけどその子にかかってしまい、「嫌だー」と明らかに嫌悪感を見せたり、先輩より先にダンベルを使ってしまったり、聞いてはいるけれど先輩から「聞いてる?自分にも関係あることなんだよ?」と叱られてしまったりしたことでハッキリと「分かってると思うけど嫌い」と言われました。

バイトもしなければ生きていけない状態でもあったので、まあ辞めました。9月頃かな、速攻辞めました。ただ、辞めるまでの間に一度大会があり、中学の陸上部で一緒だった、別の高校に入った子と鉢合わせし、「陸上入ったんだ…」と寂しげに言われてしまいました。恐らくその子の中では、私は陸上が嫌いになったと思ったのでしょう。

もう1人は同じ高校。けれど、元来好かれ、目立つタイプです。陸上で一緒だった子の影響もあり、その取り巻き(?)も私のことを嫌いました。陰口たっぷり。ブログを辿れば本名で「原子さんのこと悪く言うのやめない?」という文すら見かけました。

まあ、そんな子が多い学科に入ることを高一の担任に止められくらいです。陰口こそ言われたけれど、幸か不幸か、どう仲良くなったかイマイチ覚えてない(確か中学時代にどういう経緯か紹介されただったかな?)子も同じ学科に、同じクラスになったこと。中学で転校してきた子とも仲良くなれたこと。高3からは更に仲良くしてくれる子が増えたこと。高1の時は「私、原子ちゃんのこと好き(もちろんLike)」だと体育の着替え中に言ってくれた子がいたこと、高1で仲良くなった子と基本的に昼食は集まって食べたこと、高1で仲良くなった子は高2.3になっても嫌わないでいてくれたこと、何故か別学科の子と卒業式の日に20人くらい集まって写真を撮ったこと…

 

恵まれていたと思います。けれど、家庭問題も悪化してた高校時代。自信の無さは悪化する一方でした。そうして、高2(多分)の頃、学科が別の、中学で仲良くなったもう1人と対面した際、側で見てた同じクラスの子が「〇〇って原子さんと友達なの?」と訊き、その子は「友達だよ!ね?」と答えてくれたにも関わらず、私は自信が無くて、その子に迷惑をかけたくなくて「違う」と言ってしまった。それ以降、その子と関わることも無いまま卒業。

振袖レンタルするお金も無ければ、その為の前撮りだったり、前日〜当日にかけて泊まる場所もホテルしか思いつかず、専門時代とは言え新聞配達というアルバイトの範疇を超え、仕事と言えるものをしてた私は長く留守にすることも出来ず(同期が成人式のために里帰りすることで更に人員不足…まあ私が居なくてもなんとかなったと思います)、結果成人式に行けず仕舞いでした。出席した友人伝いで中学の部活時代の子が「原子は?」と訊いてくれたとも聞きました。あの時出席してれば、2人に謝れたはず。もっと言えば、小学生の時に同市内の学校で転校をしたので、昔の友人に会えることから、成人式に出席することは夢でした。

けれど、そうもいかなかった。スーツで行けば1日休むだけで間に合ったかもしれない。けれど振袖は憧れでした。ちなみに今でも仲良くしてくれてる友人もとある理由で成人式に出席してないのですが、本音はもしかしたら私が出ないと言ったから気を遣ってくれたのかな…と思っています。

 

そんな後悔ばかりが日々募ります。忘れてはくれません。年齢を重ねると、嫌な思い出ではなく良い思い出だけが残るってあれ嘘ですね。勿論、中高時代にかなり恵まれた私の思い出は良い思い出です。もっと仲良くしたかった。アドレスも交換したかった。友達だと言い切れる強さが欲しかった。

今更謝ったところで、ただの自己満足でしかありません。それでも、貴方たちが居たから、私は中高時代を幸せだと思えた。高校時代の写真が出てきましたが、我ながら本当に酷い見た目です。せめてコンタクトくらいしろよと思います。そんな私と仲良くしてくれた。テストの点を競ったり、遅刻してこっそり後ろのドアから入ってきた私を当てた教師、訳も分からずだった私に答えを教えてくれたクラスメイト、その際に前の席にいた2人が「来たの!」と嬉しそうに言ってくれたり、合唱コンクールの打ち上げの際に2人のグループと仲良くしてくれたり、仲違いをしてる間の気まずい時ですら私に接してくれたり、それまで一度も同じクラスになったことが無いのに高2.高3とめちゃくちゃ仲良くしてくれた友人、高1の時に中退してしまったけれど休んでた時にノートを見せただけで翌日お菓子をくれたクラスメイト、同じく力になれず辞めてしまった高1のクラスメイト、家のことがなくても学校を休みたくなかったと言い切れます。

 

小学生時代にクラス中で無視をすると言うイジメに加担し、中1のクラスでは教師に対してクラス全体が悪口を言ったにも関わらず担当教科係だった私と友人に対して、辞める時にそんな資格なんてないのにも関わらず一筆箋をくれて「2人には感謝してる。ありがとね」と言ってくれたこと。

 

そんな私でも、周りより太ってて、運動音痴で、我ながら見た目が本当に酷くて、そんな私と中学、高校と仲良くしてくれた友人含めた全ての人たちに、ありがとう。

本当に感謝しています。

出来ることなら、2人と一生の友達で居られる私で居たかった。その内の1人は風の噂で、出身地で働いてると耳にしてます。

 

どうか、2人や、仲良くしてくれた全ての人たちが元気で、しあわせでありますように。

これからも笑顔でいてくれることを祈っています。本当にありがとう。

人を信用できない私だけれど、中学や高校時代に中学の陸上部員を含めて本気で私と向き合ってくれた仲間と過ごした思い出はかけがえの無い宝物です。

きっと、貴方たちが居たから、私は酷い家庭環境下で育ってても、人を殺すどころか誰かを殺すくらいなら自殺するとか、そもそもその念を誰かに抱いたことも無くこの年齢までなんとか生きてこれたのだと思います。

 

そして、トラウマが溶け出した頃に本気で愛するようになった嵐のメンバー。

大野智さん

櫻井翔さん

相葉雅紀さん

二宮和也さん

松本潤さん

貴方たちと出会ってなければ、とっくに自殺していました。間違いなく。

そして、好きなってるのに申し訳ないのですが、私は現在生活保護で生きています。国民の税金で賄われています。税金の支払額は稼いだ金額によって一人一人異なります。嵐は、貴方たちは、恐らくその筆頭です。金銭面で私は貴方たちに養われているも同然と言えるでしょう。本当にありがとうございます。

 

書きたいことから大幅に逸れたので次回に続きます!(オトノハか)

その人、とか多用してるので訳分からなくてごめんなさい!!とりあえず私の部分は本名にしました。ブログでは本名公開初めてかな🤔

とりあえずこれくらいは先に貼っておこうかな。

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ここまでお読みいただきありがとうございました😊